作品リスト

Prayer /祈り(2011)  

after March 11th, 2011
混声合唱、ア・カペラのため
EDIZIONI SUVINI ZERBONI – MILANO
SCORE

東京混声合唱団委嘱
text : ラビンナート タゴール
初演 2011年10月5日,第225回 東京混声合唱団定期演奏会
東京文化会館
指揮:松原千振, 演奏:東京混声合唱団

3月11日の震災を、私は レジデンス・コンポ−ザーとして滞在していたドイツのニーダーザクセン州に位置するシュライアンという村で知りました。
次々と送られて来る地震と津波の映像、情報が、この災害が尋常ならないことを知らせていました。犠牲となった多くの方々の命、家族や友人、家、故郷を失われた人々の事を思うと胸がしめつけられ、荒れ狂う自然の前では、人間が如何に無力な存在であるかを感じずにはいられませんでした。 四季のコントラストがあり、美しい自然に恵まれた日本が、地震はもとより火山活動やさまざまな自然災害と共生しながら存在している事実を改めて思い出しました。
 
しかし、何よりも胸が痛むのは、原子力発電所の事故です。私達が抱えてしまった将来に及ぶ影響を思う時、言葉では言い尽くせない悲しみを感じます。
 私の世代は、戦争のない平和な時代、物質的にはとても豊かな時代の中で成長してきました。今回の 震災 と 原子力発電所の事故は、私にとっては、 人生半ばにして 初めて体験した、今までの価値観が覆されるような、大変ショックな出来事です。

奇しくも、私が滞在していたニーダーザクセン州は、エルベ川がゆったりと流れ、コウノトリが毎年訪れ、卵を孵化させて、新しい生命とともに旅だち、夏場には蛍が窓から入って来る。。。そのような大自然に恵まれた牧歌的な農業地帯であると同時に、深い悲しみを抱えた地域でもありました。
 シュライアンから約25km離れたゴーレーベン(Gorleben) 村は、1980年代に核廃棄物の地層処分所として選ばれて以来、 核廃棄物処分施設が建てられ、カストールと呼ばれる円筒型の容器、約100個に核廃棄物を封じ込め中間貯蔵を強いられているのです。緑豊かな森と湖のある愛らしい村を超えていくと、その無機質で、刑務所のように物々しく警備された施設が現れます。カストールが実際、何年耐えうるかをテストした訳ではありませんし、現時点ではこの廃棄物を分解させる技術は開発されておらず、たとえば廃棄物に含まれるプルトニウムやウランの半滅期は数万年という人間の想像を絶する時間を要し、その間に何らかの事故が起こらないという保障はどこにもありません。現在解決不可能な問題を、あてもなく気の遠くなるような未来の宿題に課したまま、 核廃棄物処分施設をスタートさせているのが現状です。このような問題と痛みを抱えているだけに、その地域に住む全ての人々の環境保護への意識は高く、また芸術家の活動と表現の根底にもその意識が流れていました。 そこには政治や経済といった枠を超え、 自分たちの土地、美しい自然と環境への思いやり、自然のあるべき姿をそのまま将来に残したいという純粋で素朴な 人々の 思いが エネルギーを生み出しているように感じられました。
 
 こういった状況の中,今回、東京混声合唱団のための委嘱作品を書かせて頂くにあたり、ラビンドラナート・タゴールが自ら、ベンガル語から英語に訳した詩集、『果物採取』の中の一つの詩をテキストに選びました。今年生誕150年を迎えるインドの詩人、思想家、教育者でもあったタゴールの詩には、時代、国、民族、宗教、環境といった一切のカテゴリーを超え、読む人の心に語りかけてくる普遍性を感じます。それは、人が生きていく過程で、想像を絶するような悲しみや絶望に陥ったとき、何とかそれを乗り越えて生き抜いていこうとする生命力を応援し歌い上げていること、あらゆる生命や自然に対する深い優しさとおおらかさが溢れ、人間中心になりがちな私達の視線を、大きな宇宙あるいは自然に向け直し、乾いた心を潤ってくれることのように思えるのです。
 
 題名としました『祈り』については、一つの忘れられない光景があります。
幼い頃、私が育ったお寺の庭に弘法大師像が納められているお堂がありました。そのお堂で週に一度か二度、檀家のお婆さんたちが、自分たちでお経をあげ、お参りする集いがあり、お茶菓子を運ぶのが私の役割だったのです。読経するお婆さんたちの一人一人の声、テンポ、節回しは微妙に違うのですが、全体としては、一つの力強い声として流れ出し、その響きは私の記憶の中に強く根付いています。

合唱は人声という人間の持つ最もダイレクトな表現媒体から成り立っています。
その声、深いため息、生命の息吹を感じさせる暖かな息の音、あるいは氷のような透明で冷たい息の音といった豊かな音色と表現方を作品を構成する音の素材として用いて、詩が持つ言葉の響きとリズム、その内容とその小宇宙に重ね合わせながら、時には、一人一人のつぶやくような繰り返しとして、時には個々のつぶやきが重なり、全体として生みだされる大きなエネルギーとして、私が持つ祈りのイメージを再現したいと思いました。
 タゴールの詩が語りかけてくるように、如何なる状況にあろうとも、それを真っ直ぐに見つめ、進む道を選びとりながら 自然に生き抜いてゆく、そのような 勇気と生命力を持ち続けられればという私自身のささやかな祈りが、 合唱団からの音のエネルギーを介して 作品を聴いて頂く方に届けば、幸いです。