未来圏から (2012)
能謡とアルトフルートのため
詩:宮沢賢治
EDIZIONI SUVINI ZERBONI – MILANO
詩:宮沢賢治
(能謡とアルトフルートのため)
アンサンブル能 委嘱
初演 2012年2月1日
芝浦ハウス
能謡:青木 涼子、アルトフルート:大久保 彩子
能謡とアルトフルートの為の 『未来圏から』
ふき(吹雪)はひどいし
けふ(今日)もすざまじい落盤
……どうしてあんなにひっきりなしに
凍ったふえ(汽笛)をならすのか……
影や恐ろしいけむりのなかから
蒼ざめてひとがよろよろあらはれる
それは氷の未来圏からなげられた
戦慄すべきおれの影だ
(宮沢賢治 1925.2.15)
諸国を旅する一所不在の僧が、橋を渡ってゆかりの地にたどり着く。その僧の 夢の中に、主人公が 亡霊として現れ、その人の思いを語り舞うことによって苦しみ悩みを浄化させる。。。 『橋』『旅』『夜』『死』『夢』といった不安定ではかない要素を用いて、人間のドラマと内的葛藤が昇華されるまでを描き出す『夢玄能』の演劇性、構造、ドラマトウルギーといったものに強く惹かれました。
舞台に 幾層かの異次元での物語が 繰り広げられ、見ているうちにその夢と同化していくことができる体験、私にはとても斬新な世界に思えるのです。
今回の能謡とアルトフルートのための作品は、私にとって、謡と西洋楽器をを用いる初めての経験です。能の作品のようなはっきりした物語はありませんが、 夢幻能がそうであるように、はかなく不安定な要素をモチーフにした3つの詩をテキストに、 未来—現在—過去—そしてまた未来へ という時の循環を構成し、私 が生きている現時点の空気を映し出すような作品を生み出すことが出来ればと思いました。『未来圏から』はその第一部です。『未来圏』『影』『吹雪』をモチーフに、未来から架け橋をわたって自分の影がよろよろと現われ恐れおののいているという内容の宮沢賢治の詩を選んでいます。(第2部では『夜』と『花びら』をモチーフにした同詩人の作品を、第3部では『天使』と『きょう あす きのう』という時の流れを構成要素とする谷川俊太郎氏の詩を予定しています。)
声を用いた作品を作曲する時、私にとってその詩が描いている世界と内容、言葉の響きの美しさとリズムは、音楽を決定するとても重要な要素です。この宮沢賢治の詩はおよそ90年前に書かれたものですが、 冷たい夜空に吹きすざぶ 吹雪(ふき)の情景を描きながら 自然への畏敬の念や、未来の何かに体する不安や畏怖が、現代の言葉で歌い上げられていて、私達が存在している現時点の状況や感覚に、とてもマッチするように思えました。私自身が冬の厳しいドイツに住んでいる事もあり、その暗く冷たい冬の夜の情景と重なったこともあります。
詩は元来、音読する為に書かれたではないかと思います。その言葉は 声によって読み上げられることによってはじめて、生き生きと脈打つように感じます。
能には、まず言葉がありその言葉に抑揚、うねりやリズムがついてくる。その本来の姿を、自作品に用いたいと考え、 『未来圏 から』の音素材、 音楽的ジェスチャー、そしてイントネーションは詩の言葉を元に選び、言葉の抑揚を音にあてはめて展開しました。
また詩のベースになっている『吹雪』を、謡とアルトフルートの息を用いた奏法で 、そのうねりを様々なグリッサンドで といったように音楽を構成する幾つかのマテリアルを繰り返して用い、その組み合わせをロテーションさせています。これは、能の音楽構造がそうであるようにシンプルな音素材から、豊かで有機的な音楽を構築することを意図しています。アルトフルートは時に打楽器的に、時に謡の延長として用いています。謡のおおらかな声を通して、詩の描いている世界が 作品を聴いて頂く方に届けば、幸いです。
(2012.1.28, 岸野 末利加)